外国へ留学するのは子供からの夢でした。そのときは留学生になれば、きっと誰よりも、いい仕事を見つけられると考えました。留学すれば、言語力も知識も高めるし、人脈も広められるので、勝負をかけて留学することにしました。
初めて日本に来た瞬間、夢が叶えたということに感動しました。実は私は今の大学に来る前に、一年間日本で文化交流プログラムに参加したことがあります。しかし、当時は、学校側の担当者が、学生さんの生活を全面的に世話を見てくれましたので、学校以外の社会はなかなか触れ合えなかったです。
APUに来てから、初めて日本を見ました。そして、日本と出身地の香港との違いがたくさん感じました。
今日、この機会を使って、私―香港留学生として気づいた、日本の特徴的な文化を教えさせていただきたいと思います。
曖昧!?
日本に来る前に、2年間大学で日本語を勉強しました。先生はいつも日本語は曖昧な表現が多いと言いました。確かに、いつもはっきりと主語などを言う広東語と比べると、日本語のほうが曖昧かもしれません。しかし、何回も話したり聞いたり、練習すれば、省略という特徴はそんなに難しいことではありません。連想できるので、日本語は曖昧という感じもなくなりました。
一番難しいのは省略じゃなくて、意味の曖昧です。
初めて会った日本人はよく私にこう言います。「アガサはいつもはっきり言うね」とびっくりしながら、苦笑いをします。
私はこういう経験があります。日本人の友達と一緒に、もう一人の日本人の家に遊びに行きました。一人はモツを私に食べさせたかったので、モツの炒めものを用意しました。しかし、食べたら、モツも野菜も火が通していないため、私はこう言いました。「火がまだ通していないから、もうちょっと炒めてくれますか。」友達ですから、直接に話してもいいと思いながら、お皿を渡しました。友達は「え?」と返事して、苦笑いをしました。
そして、もう一人の日本人は「アガサはスゴイ」私に言いました。
香港の場合は、こういう話は別に特別なことではありませんが、日本では、物事を断る、不満を申すのは、非常に気を遣わないといけないことです。それに、断っても、特に目下の人は、はっきり言うのは失礼だと考えられます。
私はどちらのほうがいいか、判断できないです。曖昧は決して悪いことではありません。しかし、曖昧な日本語は、他人を気遣う結果だと考えたら、日本を留学先にしたのはよかったと思います。
騙されやすい?
あるテレビ番組を見ました。「日本人の観光客は一番に騙されやすい」とテレビの前に、ある専門家がこう発言しました。
観光の時だけではなく、「バナナダイエット」や「納豆ダイエット」の事件でも、大勢の日本人は、テレビの話しを疑わずに信じました。もし同じことが香港で起こったら、恐らくほんの少しの人しか、信じてくれないでしょう。私もこの話題について、カウンセラーの荒金さんと話しました。最後に「日本人は単純だ」という結論がでました。
みなさん、単純というのはいいことですか、悪いことですか。私はこう考えます。「周りの人によって違います。」もし周りの人が家族のような、信じてもいい人たちでしたら、ずっと他人を疑うのは悲しいことです。その代わりに、自分から利益を取るつもりの人ばかりの世界には、単純な人は必ず傷つきます。
「騙されやすい」と言うのは非常に失礼なことかもしれませんが。私から見ると、人を信じて生きられることは、全然悪いことではありません。もう少し考えたら、それは平和のしるしではないでしょうか、と私は思います。
「すみません」
日本に来て、最初に違和感を感じましたのは、日本人からの謝りです。
日本は、バスに乗って椅子を下ろしたいなら、「すみません」を言います。人の前にものを落としたら、「すみません」を言います。飛行機で乗務員に服を汚された経験があります。その時、乗務員3人から、何回も「すみません」や「申し訳ございません」などの謝りをされました。そのあと、自分から「すみません」と言いたいくらい、乗務員に罪悪感を感じました。
しかし、香港は謝るのは恥ずかしいから、本当に失礼なことにしか謝りません。特に、家族や親友の前には、謝りは要らないと考える人もいます。そして、謝るのは自信がないとの示しなので、自分の能力を強調するため、何でも謝るのはいけないことです。
多分みなさんはこう考えているでしょう。「マナーですから、『すみません』は言うべきです。」このような考えは理解できますが、「すみません」といつも言うと、距離感を感じさせるのではないでしょうか。
私と知り合って、もう一年半の友達がいます。彼は恋愛話も私と相談するくらい親しいかたです。きっといい友達になれると思えば、いつも腰を曲げて、謝っています。マナーだとしても、「ごめんなさい」、「すみません」を言い過ぎると、距離がみえます。日本人の友達と付き合うとき、よくこのような違和感を感じます。実は何度もやめさせようとしたんですが、好意の行動だと思いますから、文化の違いを感じ、「大丈夫です」と返事しながら、微笑みを口元に浮かんできました。
団結心
謝りの習慣から、もう一つの文化を発見しました。日本人の団結心が見えます。職場では、自分のせいでもないのに、誰かが間違えば、上司と部下と一緒に、謝ることは全く珍しいことではありません。飛行機の中で、服を汚したのは一人の乗務員でしたが、謝るのは3人でした。なぜですか。もしかしたら、仕事は一人ではなく、グループだと考えているからの結果でしょう。
香港の職場では、会社のことも考えますが、自分の出世が一番大事だと考える人はほとんどでしょう。日本と違って、終身雇用制より、いい会社で仕事できるように、いろいろな会社で勤めるのは普通です。何十年間も同じ会社にいて、同じ仕事をすれば、「能力のない人じゃないか」と思われます。
日本の民族性は強いということは、香港では有名な話です。来る前に、この話しは聞きましたが、本当かどうか確認できませんでした。しかし、ここで生活を始めたら、やっとわかるようになった気がします。
私は今大学の寮に住んでいます。そこで、ある現象を発見しました。外国人の友達ができれば、日本人の友達から仲間外れされることです。私は自分のことを言っているではなくて、一人の日本人の経験を話しています。彼女は、入学するときに英語が苦手だったので、日本人の友達がしかできませんでした。努力家ですから、2年生の時、英語はもう流暢に話せるようになりました。そして、外国人の友達が増え続きながら、日本人の友達がどんどん失ってきました。
一緒にカラオケへ行っても、日本人と外国人のグループが、必ず分かれて座ります。空気が変な感じになるので、「混ぜて座ったほうがいいじゃないか」とアドバイスしたら、シーンとより静かになりました。
私は誰かのせいにするわけではありません。多分他の国へ留学すれば、同じことになるでしょう。同じ言語と国籍の人とは、親しくなるのは当たり前のことです。それでは、なぜ私は違和感を感じたかというと、香港はそうではないところです。
香港は返還してから、10年間も経っているですが、香港は完全に中国の一部になったのに、まだまだこの事実に慣れていないです。団結の中心がないので、団結精神もなくなりました。自分はどこに所属すればいいか、わかりませんから、自分は自分に所属するしかありません。
日本人の団結心に羨ましいとも言えるですが、香港の自己中心精神との文化を始めて気付きました。
一分間も間違えない
寮のごみ捨て時間はよるの10時半から、11時までです。ある日、私はいつも通り、10時半ころにごみ捨てに行きました。玄関のところにRAという各フロアのアシスタントがいました。ドアを開けて、出ようとした瞬間に、RAに止められました。「え?何ですか」と聞きましたら、向こうに「あと2分」と言われました。
特に玄関のところ寒かったので、「そこまで時間を守らなくていいじゃないの」と少し腹立ちました。しかし、ルールはルールですから、迷惑をかけないように、RAと会話せず、玄関で2分間待ちました。
時間を守るのは決して悪いことではありません。特にバスを待つときです。香港のバスは、10分から15分くらい遅れても普通です。もしちょうど書いてある時刻表の時間にバスが来ましたら、その日は非常にラッキーでしょう。香港はまだいいですが、ヨーロッパでバスを待つと、30分間も待ったことあります。でも、理由は教えてくれませんでした。
日本に来て、時間を守る程度に、十分にショック受けました。電車も、飛行機も、バスも、12時に着くと書いてあるなら、12時に着きます。特に東京の交通機関は驚くほど時間を守ります。
待たせなかったのに、「お待たせしました」と必ず言うことも、不思議だと思います。友達がトイレから戻るとき、初めて「お待たせしました」と聞いたあとに、何と返事すればいいかと本当に悩みました。私のほうが早かったのは相手のせいではないので、どちらも待たせなかったでしょう。しかし、「お待たせしました」との言葉はトイレから戻るときのルールみたいので、私も言い始めました。
留学生活から学んだものとは
このように、日本の文化は少しずつ自分の体に染み込んできました。「お待たせしました」という言葉だけではなく、言うときの気持ちも分かるように気がします。そして、日本文化の学ぶ目的は何でしょうと、この文章を書くときに、ずっと考えていました。
日本文化を考えるときに、単なる日本文化だけではなく、自分の文化のないところまで、分かるのです。そう考えると、自分の文化を知るというのは結果ではないでしょう。
人々はみんな同じではなく、それぞれ違う能力を持っています。みんなも違うからこそ、社会の各分野が盛んできます。そして、文化も同じです。どちらのほうが優秀という問題じゃなくて、どちらも自分の特徴を持っているので、面白いです。お箸を使っても、フォークを使っても、どちらでもいいです。しかし、違いを知る後は、どうすればいいかということは一番に大切です。
個人意見ですが、尊重する気持ちを学ぶのは一番大切なものです。時々、見たことも、聞いたこともない文化を経験したとき、「おかしくない」と思ってしまうこともあります。しかし、冷静に考えると、それは自分の世界にないだけです。良いことか悪いことを判断するように、尊重する気持ちを持って、お互いの文化を理解しようとするのは、大事だと理解したのは、留学生活から習ったことです。