事務局 〒 879-1506 | |||
大分県速見郡日出町2548-3 | |||
(有)幸喜屋内 | |||
TEL.0977-72-2421 FAX.0977-72-2436 | |||
会長 | 秋 吉 尚 康 | ||
副会長 | 山 田 滋 彦 | ||
幹事 | 河 野 一 幸 | ||
広報委員長 | 鈴 木 貫 史 |
例会日 | 火曜日 | 19:00 | |
会 場 | 日出町 | 別府湾ロイヤルホテル |
■ 出席報告 | 瀬口秀吉 会員 | ||
会員総数 | 12名 | ゲスト | 0名 |
会員出席数 | 8名 | ビジター | 0名 |
会員出席率 | 66.7% | 出席者数 | 8名 |
前々回出席率 | (12月21日)75.0% | 修正出席率 | 75.0% |
100%連続回数 | 0回 | 100%通算回数 | 364回 |
出席免除会員 | 山田滋彦 |
● メイクアップ | |
事前 | |
事後 | |
● 欠 席 | 遠藤克尚、小川大三郎、加耒清一、小路郁 |
点鍾 | 19:00 |
ロータリーソング | 我等の生業 |
ゲスト | |
ビジター |
皆さん今晩。本日1月18日は今年2回目の例会です。先週の家族親睦新年会は、多くの皆様方の参加を頂き、そして無事に出来まして本当に有難う御座いました。
さて新年会の挨拶で私が会員の増員の事を申し上げましたので、本日は会員増強のお話をいたします。私が鈴木前会長より引き続いた時は16名の会員が居ましたが、現在では12名しか居なくて、近隣6ロータリークラブではYクラブの10名に続いての小クラブになりました。本年度も残り少しございますが、各会員の皆様には力を合わせて新会員の加入をお願い致します。そこで参考に成るか判りませんが、他クラブの会員増強の意見を御紹介致します。
以上参考には成るか判りませんが、23年度は最低2名以上の会員の増加を目標にしたいと思いますので皆様方のどんな小さな情報でも結構ですのでお知らせ下さい。又退会防止にはお互いの意見を聞きながら対応しましょう。クラブの発展を願って会長の時間を終わります。
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会員卓話 吉弘 秀二 会員
演題 『土屋元作伝を読んで』
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1月25日(火) 1278回例会
外来卓話 株式会社 P-BRANCH 代表取締役 坂本 江里子 様
* 1日 会員卓話 鈴木 貫史 会員
* 8日 会員卓話 佐藤 英隆 会員
* 15日 クラブフォーラム
* 22日 家族親睦ボウリング大会
* 1月13日に別府市内4RC・湯布院RCとの会長・幹事会が開催され秋吉会長が出席しました。
* ガバナーから地区大会についてFAXが届いています。
別府東RC | 1月27日(金) | 例会は、同日12:30~『ホテル サンバリーアネックス』に場所変更 |
開催年月日 : 平成23年1月11日(火)
開催場所 : 幸 喜 屋
瀬口秀吉会員 | (S): | 日出ロータリークラブが平成26年に30周年を迎えるので、まず目標としてそれまで頑張ります。 |
秋吉尚康会長 | (S): | 瀬口秀吉会員が日出ロータリークラブの平成26年に30周年迎えるのでそれまでは、何がなんでも一生懸命頑張ると言われた言葉に感謝の意味を込めて(1口)ニコボックスします。 |
佐藤英隆会員 | (S): | 瀬口会員の30周年目指して頑張ろうと言う言葉に感動致しました。平成23年1月18日を忘れないで、新たな1歩としてみんなで踏み出しましょう。 |
本日は卓話の時間を頂ましてありがとうございました。皆さんも良くご存知かと思いますが、日出町出身で、ロータリークラブの先人でもあります土屋元作伝を日出ロータリークラブ創立五周年記念誌として日出クラブの先輩たちが初刊として、1989年6月、「ロータリーの日本化 大夢翁 土屋元作伝」が刊行されました。そして、地区の『価値ある功績賞』に選ばれ初版の冊数がすべて消化されてしまい、送本の問い合わせが相次ぎますのでご好意にお答えしょうと1995年に再刊の運びとなった経緯がございます。「大夢翁土屋元作」伝の冊子をゲストの皆様にも差し上げていましたが、私自身このような冊子をあまり深く読んでおりませんでした。今回卓話の時間を頂くことになりじっくり拝読致しました。皆様はすでにご存知かと思いますが、私なりに思いついた事をお話したいと思います。
土屋元作さんは、大坂ロータリークラブで御活躍されたロータリアンでした。明治26年5月、アメリカ、シカゴ大博覧会会場において青雲の心で志に燃える二人の日本人青年がありました。一人は博覧会で、日本商品の説明者を務める「米山梅吉」であり、一人は大阪出品協会の雇員として同時に出向した「土屋元作」です。その時梅吉25歳、元作27歳でありました。二人は、5月から10月まで行動をともにしました。米山梅吉は大和国、高取藩の家中に生まれ、土屋元作は豊後の国、日出藩上士の家に生まれました。ともに侍です。それは姿かたちではなく精神のありようが武士であり、日本国が今までのように門戸を閉ざしていては世界列国と伍していけないという憂国の心を燃やし、進んで海外に目を開き、米山梅吉は渡米してサンフランシスコへ。土屋元作は、バンクバーの土を踏んだのです。
日本のロータリーの発展は、東京クラブ、大阪クラブ、このそれどれ性格の違う二つのクラブが共に刺激しあうことによって一つの道を開拓していったといっても過言ではないと伝えられています。そしてそこに米山梅吉、土屋元作という二人の人物があったのです。
日本ロータリーの生みの親といえば米山梅吉さんの名が一番初めに上げられますが、土屋元作という名は一部の限られた人をのぞいて、ほとんど知っている人は少ないでしょう。しかし日本のロータリーの創始期において、欠くことのできぬ、又忘れることのできない人であると言われております。土屋元作さんの略歴に触れてみます。
土屋元作さんは慶応二年、大分県の日出に生まれました。尊父はお名前を元成といわれ陸軍中佐で、この人の精神的感化で海軍に入ったのが日露戦役の旅順港封鎖で有名になった広瀬武夫中佐です。つまり土屋元作さんは軍人の子として成長したわけです。その後漢学を学び又英語を滝先生に教えを受けたが、二十歳を過ぎて、渡米し苦学をしたのです。同時にシカゴに万国博覧会が催され日本の品物も多く出品され、販売の世話をしていたのが土屋元作さんで、その時偶然美術品を取り扱っていた米山梅吉さんと親しくなって、それから兄弟のような親交がはじまったのです。日本に帰ってしばらくしてから、福沢諭吉先生に見込まれて「時事新報」に入社しました。大阪ロータリークラブができてから土屋さんの亡くなる昭和七年までの約八年間というものは、大阪ロータリークラブがじつに和やかに、軌道をはずさずに発展した。しかも、和やかであるがそこに秩序と規律がちゃんと守られていたということは、土屋さんの力だと言っても過言ではないということです。
まだまだこの冊子には色々な事が記されていますが、時間の都合で一部分しかお伝えできませんでしたが、詳しくはお手元にあります「大夢翁土屋元作」日出ロータリークラブ編をお読みください。本日の卓話ご静聴有難う御座いました。
晩 年 の 大 夢 翁 |