日出ロータリークラブ 第2720地区
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02月02日(火) 大分1985RCとの親睦合同例会 (閉じる)

親睦合同例会

日 時 平成28年2月2日(火)19:00~
場 所 大分市 割烹「にしおか」
ホスト 大分1985ロータリークラブ

■ 合同例会プログラム

19:00~          司会 大分1985ロータリークラブ 藤田敬治幹事

(1)点 鐘 
(2)ロータリーソング“君が代” “奉仕の理想”
(3)ゲスト紹介大分1985ロータリークラブ木村成淑会長
(4)会長の時間大分1985ロータリークラブ木村成淑会長
日出ロータリークラブ吉弘秀二会長
(5)出席報告大分1985ロータリークラブ西岡一雄会員
日出ロータリークラブ上野浩伸会員
(6)幹事報告大分1985ロータリークラブ藤田敬治幹事
日出ロータリークラブ臼杵徳二幹事
(7)委員会報告関係委員会
(8)ニコニコタイム大分1985ロータリークラブ坂本肇幹事
日出ロータリークラブ秋吉尚康会員
(9)点 鐘   

大分1985RC 木村成淑会長 会長の時間

 本日は日出ロータリークラブと我が大分1985ロータリークラブの合同例会であります。日出ロータリーの会員の皆様もよろしくお願いします。もともと日出町は日出藩と呼ばれて藩祖は豊臣秀吉の正室・高台院の兄・木下家定の三男の木下延俊氏であります。延俊氏は1600年の関ヶ原の戦いのとき、東軍につき徳川家康より豊後国速見郡日出3万石の所領に封じられました。その後、2代藩主木下俊治氏のときに弟の木下延由氏に5000石(速見郡立石)の所領を分与しました。当初、延由氏に3万石中の1万石の分封という遺言がありましたが、家老の長澤市之丞(後に切腹)が日出藩の将来を心配して独断で延由氏の大名への道をとざし、5000石の交代寄合の旗本となっております。このことを根拠の一つとして木下延由氏は大阪夏の陣で滅んだ豊臣秀頼の遺児である豊臣国松であったという説が今だに残っています。豊臣秀頼が薩摩島津氏のもとにいて、鹿児島には秀頼の墓があるという説もありますが、こちらはあまり信憑性がありません。一方、国松氏については戦後の捜索や処理がかなり雑であり、豊臣氏ゆかりの大名も数多くいましたので「延由=国松」の根拠となっています。また、1658年に亡くなった国松氏の位牌には幼名「国松」と記されて、家紋は国松氏の大阪城脱出を助けたとされる明石全登・内記一族と同じなのです。徳川家の全盛のもとにわざわざ位牌に「国松」であったと書く理由もありませんし、木下氏の家紋を使わず、明石氏の家紋を使ったのも疑問です。ひょっとしたら、木下延由氏が国松であったということも江戸幕府は知っていたのかもしれません。明石全登の息子内記によって助けだされた国松が豊臣家ゆかりの木下氏に囲われたという話にロマンを感じます。日出ロータリークラブの全員の方の意見をうかがってみたいと思っています。尚、木下延由氏の家も日出藩も無事に幕末をむかえ、明治の代へと家名をつなげました。

 
合同例会風景 合同例会風景
木村成淑会長(大分1985RC)会長の時間  

■ 親睦会プログラム

19:30~

(1)開会の挨拶大分1985ロータリークラブ木村成淑会長
(2)乾杯 日出ロータリークラブ上野公則会員
(3)閉会の挨拶 大分1985ロータリークラブ大久保修身会員
   
親睦会風景 親睦会風景
   
親睦会風景 親睦会風景
   

大分1985ロータリークラブ 合同例会出席者

木村成淑会長、藤田敬治幹事、大久保修身会員、西岡一雄会員、藤本保会員、坂本肇会員、
穐田英一郎会員、安井亜紀子会員、宮本洋一会員、高野太会員


 


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